尾道に上水道が敷かれたのは大正14年(1925年)3月のことです。尾道は海を埋め立て、埋め立てして発展した町ですから、飲み水に困っていました。 
 上水道の総工費は148万円、当時、大学出の初任給が60円ぐらいだったそうですから、工費の大きさが分かります。尾道市当局は借金を覚悟しました。そのとき、一人の人物が寄付の申し出をしたのです。


 総工費から国や県の補助金を差し引いた残りの103万5千円を山口玄洞翁が寄付したのです。こんなことは全国に例がありません。千光寺山頂に玄洞翁の名誉市民の碑があります。
 玄洞翁は尾道市の出身ですが、若いとき大阪に出、努力と才知で事業に成功したのです。玄洞翁の生涯に亘る慈善事業、神社仏閣への寄付は莫大なもので、建立寄進した堂塔は百に近く、銅像・灯籠・梵鐘はおびただしい数に上ります。


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