明治時代、講道館の四天王と呼ばれた柔道の達人でした。ことに、”山嵐”の大技は見る人の肝を奪い、目を見張らせました。
 会津の人ですが、療養のため、大正9年(1920)尾道に来て、浄土寺の近く、吉祥坊に住み大正11年(1922)そこで亡くなりました。
 銅像のあるところを少し東へ行くと、浄土寺へ出ます。夕方、ここから振り返ると、西に沈む赤い大きな夕日がひときわ美しく見えます。尾道の人はこの道を「夕陽(せきよう)の道」と呼んでいます。


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